人権意識
むかしのあたり前
同一労働同一賃金の参考書をおさらいししていた。2018年6月の長澤運輸事件最高裁判決で示された正社員と再雇用の労働条件の相違に関する不合理性考慮要素は、同年改正の短時間・有期雇用労働法に明文化され引継がれている。
要素は3つあり、以下を考慮して、不合理であってはならないとされている。
①労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度=職務の内容
②当該職務の内容及び配置の変更の範囲=変更の範囲
③その他事情
これを給与や手当に当てはめてみると、とくに手当についてはその特性上、何に対して支給されているものなのか、という対象・根拠が明確であるので、あきらかに「業務・職務」に関連して支給されている手当は、同一水準の支給が求められる。
こうなると手当の類にはほぼ格差は認められず、例外的に住宅手当や家族手当について、その支給基準などによっては差異を設けることが否定されていないという程度である。
時間外手当は、その割増率も含めて、同一水準を支給する旨がしっかりと明記されている。この文章を読んでいて、以前勤めていた会社の契約社員の就業規則を思い出し、ずいぶんと遠いむかしのことのように思えたのであった。
正社員の割増率が35%だったとき、契約社員の割増率は25%であった。賞与も正社員は毎年春闘で5ヶ月以上を勝ち取っていたときに、固定で1回あたり10万円±αとしていた。
昇給は正社員のベア率にあわせて改訂していたものの、2000年代は長いことベアなしだったため、昇給なし。正社員はベアゼロでも定昇があるので、雲泥の差であった。
そんな運用をボクは担当者時代から責任者の立場になるまで検討、決定してきたのだが、格差をつけることがあたり前であった時代から考えると、「同一労働同一賃金」という考え方は、本来あたり前のことを要求しているだけだが、ひと昔前の常識を180度転換するものといえる。
いま考えると正社員と有期雇用の待遇格差について、なんの疑問も持たず運用してきた自分に対し、思わず江戸期の封建制度から出てきた人に出会ったようなおどろきを感じ、思わず本を読みながら苦笑してしまったのである。
世の中の進化
ほかにも「いまはだれが考えてもNG」なことが、ひと昔前は法律でも認められていたものがたくさんあった。
ボクが入社したときの就業規則の退職金の条文には、「女性社員が結婚後1ヶ月以内に退職する場合には、退職金計算式による計算結果に1.1を乗ずることとする」などと、退職を奨励する規定になっていた。
諸々のハラスメントはいうにおよばず、始業時間前の女性社員による職場全員分デスク拭き、残業時間カウントの30分未満切捨て、管理職の深夜手当不支給、偽装請負い、会議室での喫煙など、数え上げていくときりがない。
それでもいろいろな形で少しづつ見直され、いま振り返ると隔世の感があるのは、やはり世の中というのはコンプライアンスや人権意識の高まりによって進化していくものなのだということをあらためて教えてくれる。ボクもつねに感性を磨いてアップデートを怠らないようにしたい。