IVYおじさん日記

50代前半でメーカーを退職したIVY大好きオジサンの、次のキャリアに向けた活動なんかを中心にした日々の気づいたことを書いていきます。

制度と運用

制度設計の限界

コンサル会社をやろうとしている立場でいうのもなんなのだが、人事という仕事には正解はない。それはほかの職種でも同じようなものだと思うが、人事の領域は「人」を対象にするので、とくにその傾向が顕著な気がしている。

 

制度設計をする際は、まず会社の最上位方針である経営理念から、ありたき人材像や社員に期待する行動などを具体化し、そのような人材像や行動を動機付けするように設計をしていく。設計思想や制度思想と呼ばれるものである。

 

この思想の段階では、この内容に異議をとなえる社員はほとんどいない。このような抽象度の高いレベルでは、総論賛成ということになるのである。

 

運用の大切さ

しかし、制度が展開され現場で運用がはじまると事態は一変する。人事制度は年功序列から結果をしっかりと評価に反映する方向に大きく舵が切られてきた。いわゆるメリハリをつけるというやつである。

 

メリハリに対しても堂々と異論を唱えることはないが、たとえば実際に評価をつけるときになるといい評価をつける部下がいれば、かならず悪い評価をつけなければならない部下も出てくる。しかし、優秀ではないマネージャーはさまざまな言い訳をして悪い評価をつけないのである。

 

評価の第一の目的は人材育成なので、ここは絶対評価で行わなければならない。一方で処遇への反映部分においては、原資の制約があるので、おのずと相対評価になってくる。そうすると、いくら一生懸命がんばったとしても、周囲の社員にくらべてがんばりが少ない、結果が悪いときは相対的に悪い評価をつけなければならないのである。

 

このビジネスの厳しい現実から逃げずに部下やマネージャーと闘って、当初の思想や想いを貫けるか?これが運用の大切さ、というものである。

 

よっぽどおかしな制度でなければ、設計時点の思想をきちんと理解し、運用でそれを具現化できていれば、制度の思想どおりの効果が得られるものである。

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経営者が陥りがちな制度信仰

マネージャーよりたちが悪いのは経営層である。同じように自らが厳しいことを部下に言えないとき、決まって「制度が悪いので見直せ」という指示が出る。上司が部下を指導するというあたり前のことを放棄して、制度でそのような部下の行動を是正したり、評価が自動的に下がるようにして、公平性を保とうとするのである。

 

しかし、制度は万能ではない。制度に限らずルールも同じであるが、会社の仕組みというのは性善説に立って設計するのが基本である。そうするときわめてシンプルな仕組みでみんなが理解し、使いやすいものになる。

 

一方で性悪説で仕組みをつくると、禁じ手集のようになり、常識では考えられないような行動についても、ルールで縛るため、膨大な誰も読まない規定やマニュアルだけが残ることになる。

 

社員が期待した結果や行動をとらないからと言って、すぐに制度なんとかしようとする前に、部下ときちんとコミュニケーションをとっているか?それさえすれば、解決するのでは?と自らの胸に手を当てて考えるべきである。

 

経営者は「制度を見直せ」のひとことで済むが、そのひとことで何人の工数といくらの費用が掛かるのか、少し考えてみるべきであろう。もっとほかにやるべきことはたくさんあるはずである。

 

担当者の矜持

「人事の仕事に答えはない。だから仕事に対する想いが大切なのだ」若いときに先輩からよく言われた言葉であった。ルールにはどこにも書いていないが、制度の思想から外れるような結果を持って帰ると必ずそう言われやり直しをさせられた。

 

どんな仕事でも同じだと思うが、社内の他部門や先輩、上司、職責は上位であろうともきちんと伝えるべきことは、意見具申をすべきであろう。それが担当者の矜持であり、その人が担当する価値だと思うのである。