IVYおじさん日記

50代前半でメーカーを退職したIVY大好きオジサンの、次のキャリアに向けた活動なんかを中心にした日々の気づいたことを書いていきます。

仕事始め

振り返り

今日から仕事始めである。といっても誰に拘束されるわけでもない。すべてを自分で決めてゆくのである。

このブログを更新するのは、4年ぶりである。前回2016年に書いていたときは、新卒で入って25年間勤めた会社を退職し、40代後半ではじめての転職活動がデーまであった。

4年前に入った会社では人事部長をお願いされ、数年前にコンサル会社に頼んで全面改訂した人事制度の運用がうまくいっておらず、制度見直しという名のファインチューニングを実行した。

また、売上高の海外比率が6割を超えるにもかかわらず、グローバルでの事業活動がうまくいっていないと見立て、それらを担う経営幹部層の補強や仕組みづくりをやってきた。

そんな中、コロナ禍で生活のリズムをくずしてしまい、長期間休むこととなり、会社や上司の配慮もあり、セカンドキャリア制度に応募し、昨年末で会社を退職した。4年4ケ月という期間での実績については、一定の成果があったと思うが、目指す姿には届かなかった。

 

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起業という選択

退職を決断したときには、次の予定はまったく決めていなかった。会社の仕事に穴をあけて迷惑をかけたのだから、せめて復帰後はしっかりと役に立つつもりだったからだ。

ところが突然降ってわいた退職が、どのように働いていくべきかということをボクに考えさせてくれるきっかけを与えてくれた。

いま大学院1年の息子がいて、1年後には卒業の予定である。家族3人で住んでいるいまの家は、もともと社宅であり、今回の退職で個人契約に切り替えた。息子の卒業後は、故郷で人に貸している自宅に戻るのが経済的にもリーズナブルである。

故郷に戻るまでの1年ちょっとだけ働かせてくれる会社などあるわけはないので、リモート前提で転職することを考えていたところ、偶然にも部下と友人がほぼ同じタイミングで人事をフリーランスでやってみては?とアドバイスされたのだった。

さらにボクの友人は、部下が読んだフリーランス人事部長の記事に取り上げられた人物と知り合いで、さっそくその方からお話を聴かせていただく場を設けてくれたのだった。

やはりなにごとも人である。つくづく人との縁というものが人生の中で果たす役割の大きさを感じさせてもらった。それとともに、お話を聴かせていただいたおかげで、こんなやり方ならボクにも可能性はあるかも、と自信を感じさせていただいたのであった。

 

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まずは形から

仕事始めは、執務スペースの確保からはじめることとした。ボクはなにをやるにも「まずは形から」のタイプである。いままでもフルリモートワークであり、夫婦と息子の家族3人でリモートをやってきており、それぞれの机もある。

しかしである。やはり年もあらたまったことだし、新しい事業をスタートさせるための場所と備品をしっかりと整備し、これからはじまる起業のための作業を効率的かつ創造的にできる空間が必要だ。机上や袖机を整理し、備品をかき集め、キャビネ内にスペースを確保すること半日。ようやくオフィスらしくなった。

 

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これから事業スタートに向けての準備や企業手続きなど、毎日忙しくなるだろう。また、独立するにあたって提供サービスの幅を広げるためにも、公的資格ももう少し増やしていく必要があると考えている。

これからしばらくの間、いままでお世話になってきた方々、またこの変化の大きな時代に働き方を考えていく人々に向けて、フリーランスという働き方をスタートさせる状況を日々、綴っていきたいと思う。

ゆっくりと今年の抱負を考えてみる

あけましておめでとうございます。昨年はボクの49年の人生で一番と言えるほど、大きな変化があった一年であった。年初に人事部長としてリストラを進めているときから、漠然と自身も会社を辞めようとは考えていたものの、その後の身の振り方については、まったく考えていなかった。それでも秋には現在の会社にお世話になることができ、なんとか社会の役に立つことができるようになった。本当にこのオジサンを雇ってくれる会社に感謝の一年であった。

 

入社後4ヶ月を振り返って

生まれて初めて転職を経験したわけだが、いろいろなことが新鮮に感じられ、とりあえず楽しい時間を過ごすことができた。新しい会社は時間の流れが前職以上に緩やかであり、中途で会社に入ってくる人々にとっては、馴染みやすい環境にあると思う。

 

ボクは、どちらかというと自己主張が強い方だと自覚しているので、新しい会社に入った後は、最低3ヶ月、できれば半年くらいは仕事をせず、じっくりと社内の状況や人間関係などをよく観察し、組織を理解するとともに、自分自身を応援してくれる理解者を作るように心がけてきた。

 

前職で入社5年目にはじめて転勤をするときに、となりの経理課長がボクの若さや性格を踏まえ、地方の工場という独特な環境の中に入っていくことを心配してくれ、「半年は仕事をせず、じっくりと周囲の人々を観察しろ」とアドバイスしてくれたことが今でも活きている。

 

心がけとは裏腹に、入社早々全社プロジェクトメンバーに入ったり、人事制度の大幅見直しを企画し、チームメンバーを仕切るといったポジションに就いたり、思惑よりも前倒しで担当部長に任命されるなど、仕事をせざるを得ない状況になりつつあるが、それでも自らは極力前面に出ることなく、メンバーを引き立てて仕事を進めるよう心掛けている。

 

生い立ち、歴史、ポジション 

今度の会社は、前職ととてもよく似ている。具体的にいうと、世界中で知られている完成品メーカーのグループ会社であり、そのグループの部品会社の中でも筆頭規模という位置づけだ。その生い立ちも完成品メーカーの主力製品の性能を左右する重要な機能部品を担っており、さまざまな場面で一緒になってモノづくりを進めていくという、いわばグループの中でも血の濃い関係である。

 

また、グループ会社間で合併を繰り返してきており、現在の会社を構成するメンバーには、複数の異なったバックボーンを持つ人々がいる点もとてもよく似ている。

 

そのような要因が影響するのか、会社が抱える課題もとてもよく似ており、入社後これまで整理してきた現状と課題をまとめていると、前職で仕事をしているような錯覚に陥るくらいあった。

  • 人件費コントロール
  • 世代交代の促進
  • シニアの活用

ただ、コレはボクが関わった2社だけではなく、現在のわが国企業におおよそ共通する課題のようでもあるようだ。

 

強みと弱み

複数の会社を経験しているボクとしては、なにを見るにしても比較をすることが可能である。特に前職しか知り得なかったときには、世間に比べてとても劣っていると感覚的に思い込んでいたことが、今度の会社で仕事をしていくうちに、前職って意外とレベル高かったのだと感じることもあり、またその逆も当然たくさんある。

 

これは、複数の会社を経験した者のみが持ち得る視点であり、仕事上で遭遇するさまざまな事象を客観的に見るための基準として、大切にしていきたいと考えている。その上で、定石ではあるが、弱みを世間並みに補強しつつ、強みを一層伸ばしていくことをさまざまな場面での戦略策定の基本にしていくべきと強く感じている。

 

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ボクが期待されていること

9月に入社してから、「ボクに期待されていることは何か」ということをつねに考えてきた。そういう中で仕事をとおして感じてきたこの会社の特徴をあげると以下のとおりである。

  • 企業ビジョン、戦略、中期計画、具体的施策、目標管理がきちんと連鎖しておらず、中計達成のためのPDCAが回せていない(どうもここに課題感をもっていないよう)
  • 良くも悪くも親会社の影響が強く、全体的に視野が狭いため、独立した企業としてのベンチマーキング~課題設定が意識されていない
  • 親会社との人事交流が盛んであったため、人事部門のプロパー人材が育っていない

以上の特徴について、「人事部門から、もしくは全社視点で課題設定し、事業計画達成に向けた仕組みと人材のマネジメントについて、上場企業としてステークホルダーから理解を得られるレベルに作り上げること」が、期待されていることなのではないかと考えている。

 

今年の目標「サプライヤー人事のあり方を確立する」

人事の専門性を究めるということであれば、たくさんのケースを手掛け、勉強しているその道のコンサルタントにはかなわないと思う。また、そのような専門性は、事業会社の人事担当にはあまり必要ではないと考えている。

 

このボクが、いまの会社で真に必要とされ、最大の価値貢献をしたいとするならば、やはりサプライヤーという事業形態における人事とはどうあるべきか、ということを突き詰めて行き、自分なりの考え方を確立し、その実現に向けて一歩一歩進めていくことかと思う。今年は是非、その考え方の確立をめざし、日々の仕事に取り組んでいきたい。

 

また、前職での経験をこれからの仕事に活かせるよう、しっかりと振り返りを行い、自分の中で考えをまとめる作業を繰り返していこうと思う。

 

企業文化

新しい会社に通いはじめて半月が経った。浪人生活のときからくらべると、やはり時間の経つのはあっという間である。経験したことのない組織に入ってまもない時期の、新鮮な感覚が薄れないうちに、新しい会社で感じた組織文化について書きとめてみた。

 

日付印

自分のデスクに案内され、渡されたのが日付入りのゴム印。円が三段に区切られていて、真ん中の段に日付が入り、上段に会社略称と組織名、下段に名前が入っている。毎日出社すると、日付の数字を入れ替えることからはじめる。工場への入構証への押印などは、サイン禁止でこのゴム印でないと認められない。また、社内の決裁書類の多くはこのゴム印の捺印が正式なものらしい。

 

電子決済のシステムが稼働しているにも関わらず、証票にゴム印を押して別ルートで回したり、回数券の受領でも使ったりと、新旧が共存している。このゴム印こそ文化のようである。

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事務用品

5Sがかなり徹底されていて、事務用品はデスクの島ごとに数名で1セットを共用して使用する。置き場もデスクの島の中心に、ウレタンに事務用品の型が彫られていて、置き場管理がされている。手書きが好きなボクがよく使う30㎝の定義も職場で共有のものが2本ストックされていて、使うたびに事務用品が入っているトレーに取りに行くのである。この5Sはかなりの徹底ぶりであり、製造業のお手本のような職場である。

 

社内便

会社内の書類の受け渡しには、社内を行きかう郵便ネットワークが構築されている。書類を入れる封筒には、何度も使いまわしができるよう、発信者と受信者の所属、氏名が何度も書けるよう、数段にわたって宛名を書き込めるマスが書いてあるA4の用紙が貼りつけてある。封筒は前職では、社外からきた郵便の封筒を使用していたが、今度の会社は使いまわしができるよう、丸いタックに紐が付いた封筒が使われている。

 

TV会議

TV会議のシステムはあるのだが、台数が少なく予約が取れないため、離れた拠点との会議は、もっぱらMicrosoftのLyncというビデオ会議を使っている。相手の顔が見えないだけで、資料の共有などほかの機能はTV会議システムと変わらない。TV会議システムを使っても全員の顔が映らないのであれば、このビデオ会議でもまったく同じなようなものだ。

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守衛所

工場の正門前には守衛所があり、入退場をきびしくチェックしている。あたりまえの話なのだが、前職では正門以外の場所から敷地内に入ろうと思えばいくらでも立ち入れたので、ここは大きな違いだ。正門に入場する際は、守衛所前で一時停止して、車内から社員証を提示する。また午前7時前は正門が閉まっているので、正門わきのリーダーに社員証をかざして正門を開けて入場する。

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業種は違うものの、同じ部品メーカーということで、びっくりするほど雰囲気が似ていて、同じような課題も抱えている。中途入社の人間にもやさしく接してくれて、周囲のメンバーもみな親切だ。

 

一方で会社の文化というものは、長い年月をかけ、いろいろな紆余曲折を経て作られてきたものであり、一つひとつの仕組みややり方といったものなどは、興味深いものがたくさんある。

 

せっかくこのように新鮮な体験ができるのであるから、前向きに興味をもってこれからも接していきたいと思う。また、いままでの経験と単純に比較して、否定することのないように気を付けていきたい。

再就職活動最終日

明日から新しい会社に出社する。今日は4月からスタートした就職活動の最終日だ。明日会社に提出する書類の準備も終わった。今日はこの5ヶ月間の就活ならびに生活を振り返ってみたい。


規則正しい生活
旅行に行っていた期間以外は、毎日5時には起きて、カミさんと一緒に朝食をとり、駅までクルマで送って行った。夕飯もウィークデーは基本的にボクが担当した。そして夜は遅くとも9時には床につくようにしていた。自分なりにウィークデーと週末でリズムを変えて生活をするようにして、時間を意識して生活することで、現役のときと同じようなリズムが気持ちに張りを持たせてくれたようだ。


ルーティーンをこなす
ブログは自分自身に課したルーティーンであった。どんなに余裕がないときでも書くようにすることで、時間をやりくりするということをこなせたので、無意味に日々を過ごすことなく生活ができたと考えている。


求人案件
当初考えていた以上に求人案件はたくさん出回っていた。年収やポストも早期退職に応募した人たち向けというイメージとはかなり違ったものであった。ただし、内容をよく見ていくと高年令層向けで、上級ポストというと、やはりオーナー企業が圧倒的に多かった。そこらへんのポストを外部から招聘することを躊躇なくできるのは、やはりオーナーの一声がないと難しいらしい。


年令とポスト
世間で一般的な昇進ラインから若干若いくらいの年令とポストを経験していると、採用する側から見た場合、魅力的なキャリアに映るようだ。 部長クラスの採用が妥当な50才え前後で、課長の経験というと、年令の分損をしてしまう。年令相応のポストが望ましいようである。

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社外の友人
会社という組織から離れるため、社外にネットワークを持っていないと、退職した途端に話し相手や相談する相手がいなくなってしまう。それ以外に、今回の就職活動でも数人から求人案件の紹介やお誘いをいただいた。結果的にそれ以外のルートで新しい会社は見つかったのだが、このように会社を離れても声をかけてくれる友人や知り合いがいるということは、この年令での就活には精神的な支えとしてとても大切だと身にしみて感じた。


家族の支え
毎日自宅にいるようになり、家族のペースを乱すことになる。一方で友人はいるものの、精神的には不安がつきまとうのは、避けられないところでもある。そんなとき、普段どおり接してくれる家族の存在はとても大切である。仕事に集中できるのも家族のおかげであることを、普段から意識して大切な存在として接していくことの大切さをあらためて思い知らされた。


前向きなマインド
環境の変化というのは、人間にとって相当なストレスである。いままで経験したことのない就活などを手探りで進めていくので、なおさらである。そんな中でもすべての環境を前向きにとらえて取り組むの肝心だと思う。就活の面接でさえ、こんな経験なかなかできないと考え、自分の経験として有益にとりこむくらいの前向きさで取り組むと、姿勢もきっと違ってくると思う。

 


さて、4月からスタートしたボクの就活ブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。明日からは牢人の身分から晴れて新入社員になります。ブログのウィークデーの日々更新は本日をもちまして終了します。


今後は、週末などに不定期につづっていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。それでは、また。

第5回失業認定日

今日は5回目の失業認定日。台風にも関わらず職安は休むことなく、営業をしているそうだ。いつもより遅めの9時半過ぎに到着すると、待合室が埋まるくらいの人がいる。午後から風雨が強くなるという予報なので、みなさん安全策をとって早めに出てきているようだ。


受付で書類を出すと、今日は再就職手当の手続きをするので、1時間程度かかるとのこと。てっきり最終日に手続きするものと思っていたので、明日手続きの後社宅へクルマで移動することを考えるとラッキーと思う反面、雨が強くならないうちに帰れるか心配になる。


いつもの失業認定日は、受付で書類を出すとそのまま待合室で待たされ、名前で呼ばれるのだが、今日は銀行のような番号チケットを渡される。いままでなんの手続きをしている人かと思っていたのだが、どうやら就職が決まって、再就職手当の手続きをしている人だったようだ。

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予定よりもだいぶ早く30分ほどで窓口に呼ばれる。民間の職業紹介会社から紹介を受けて就職が決まったので、職業紹介会社へ電話をして、その事実を確認するという。会社名や連絡先は提出した書類に書いてあるので、呼ぶ前に確認しておけばいいのにと思っていると、相手先の会社に確認するあたって氏名などを伝えてもいいか確認される。ここにも個人情報保護法の過剰反応が効率をさげているのである。


電話をかけると、担当者が離席中とのことで、折り返しになり、電話がくるまでまた待合室で待つことに。30分くらいで電話入り、確認がとれたとのことで、手続きに入る。


失業給付は入社日の前日の明日まで支給されるので、明日また職安に出向いて1日分の失業認定を受ける必要があることを説明される。次に再就職手当の支給手続きについて説明を受ける。


この手当は、失業給付を目当てに次の仕事へつくことを意図的に遅らせるのを防ぐ意味で支払われるもの。いろいろ細かい条件はあるものの、基本的に失業給付の給付日数が所定日数の1/3以上残っていれば支給される。


支給金額は、残りの給付日数によって変わり、2/3以上残っていると1日分の失業給付額の6割、それ以外は5割となる。ボクの場合、1日分の失業給付額が上限が適用されていて7,775円、それの5割に給付日数の残り195日をかけて、約76万円が支給される。結構なボーナスである。


再就職手当は、就職後に再就職先の証明をもらった申請書、雇用保険受給資格者証、タイムカードのコピーをそろえて申請をする。持参だけではなく郵送でもいいということなので、新しい会社に入ったばかりで休みもとりずらい新入社員にはありがたい。


申請は基本的に1ヶ月以内にして欲しいそうだ。1ヶ月を過ぎても申請は受け付けるそうであはあるが、1ヶ月以内の期間中に申請されたものを優先して処理するそうで、時間がかかるとのこと。また、郵送に紛失などのトラブルを防ぐため、書留で送って欲しいとも説明を受けた。


また再就職手当の他に就業促進定着手当の説明を受ける。これは再就職先に6ヶ月以上勤め、その間の賃金額が前職にくらべて下がった場合に支給されるもの。ただし、この場合、比較に使う前職の賃金額に上限があり、その上限金額とくらべ下がったかどうかを判断する。


ボクは上限が適用されるので、その上限金額とくらべるとおそらく下がることなく、こちらは適用にならないだろう。


さて、明日は職安で最後の失業認定を受けたら、そのまま社宅に移動できるよう、これから明日の出発の準備をしよう。

 

 

再就職支援プログラム7回目

昨日は支援会社の最後のカウンセリングに行ってきた。次の会社はすでに決まっているので、再就職の支援ではないのであるが、クロージングをやってくれるのだという。


まず、10ページ弱の「新しい会社で、あなたが力を発揮していくための大切なポイント」という小冊子をわたされ、新しい会社でこれからスタートするにあたっての心構えや注意点などの説明を受ける。

 

それによると、入社後に心がけたい4つのポイントとして、

 

1.気持ちをリセットする

2.自分からとけ込む努力をする

3.「評論だけ」で終わらせない

4.焦らない、結論を急がない

 

と説明されていた。前職では親会社から社長以下、役員の半分と研究開発部門の半分以上の部長が出向や転籍という形で派遣されていた。思い当たるフシがたくさんあることに苦笑する。ボクも逆の立場にならないよう気を付けねば。

 

ポイントの説明が終わると、次に再就職支援メニューについての完了報告書を作成する。決まった就職先の概要や入社日、どのような経緯で再就職先が決まったかなどを書き込み、最後に記名、捺印をして作成終了である。

 

最後に簡単なアンケートをPCに入力し、スタート時に渡された会員証を返してすべてのメニューが完了となった。所要時間は約25分。これで求職活動1回にカウントされるのはありがたい。

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ボクの場合仕事柄、再就職支援会社のメニューが本当に必要であったかどうかは別として、実際にどのようなメニューとプロセスで支援が行われているのかを体験する意味で、非常に貴重であった。


また、結果的に支援会社からの紹介で就職先を決めることができたので、これも非常にありがたいことであった。


ボクのような採用などを経験していない人事以外の職種の人が、突然転職活動をせまられたとしたら、今回体験した支援メニューというのは、非常に有効だと思う。新しい仕事を探すにあたって、自分自身とキャリアを振り返り、市場価値をはかりながら仕事を探していくプロセスを、わかりやすくしかも体系的に構築してある。


自分にフィットした新しい仕事に、効率的にたどり着くためには、このようなコンテンツを提供してくれるサービスは、是非最大限に活用すべきだと、あらためて感じさせてくれるものであった。このサービスを付与してくれた前職の会社に感謝である。

 

 

扶養家族

来月からお世話になる会社への手続き書類を準備している。民間の会社であるから、人事管理の都合上、必要となってくる書類が基本だが、法律の定めによって必要な書類も多い。所得税社会保険に関するものである。

 

ボクには大学生になる息子がいる。彼を健康保険の扶養にするには在学証明書と地方自治体が発行する直近の非課税証明書が必要となる。

 

一方所得税の扶養に入れるには、毎年年初に提出する「給与所得者の扶養控除等(異動)申告書」に氏名その他を記入し提出すればOKである。扶養に入れる手続きがその仕組みによって違ってくるのである。

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手続きだけではなく、扶養に入れられる基準も仕組みによって異なる。所得税は扶養される人の年令や職業などに関係なく所得金額をもって線引きをし、対象期間も1月から12月という暦上の1年としている。

 

例えばパートやアルバイトなどの給与所得だけであれば、通勤費などを除いた課税対象となる収入金額が、1月から12月の間に103万円以下かどうかで決まってくる。ここでいう収入金額には、一定の基準を満たした通勤費や失業給付などは含まれない。

 

健康保険は、年間収入が130万円未満であり、基本的には配偶者、18才未満の子、60才以上の家族となっており、18才以上60才未満の場合は本来は就労可能なので、就労できない状態にあることを証明し、被保険者が生活費のほとんどを援助しなくてはならない状態にあることを証明する必要がある。こちらは通勤費や失業給付などは収入とみなされる。対象期間も異なり、直近3ヶ月の実績から将来1年間の見込みを予想する。

 

健康保険はこのほかにも書き上げるときりがないほどの細かい基準があり、扶養したい家族の状況に応じてさまざまな証明書類が必要となる。

 

ボクは会社に入社してから10年近く給与計算を担当していた。その中には、健康保険料を毎年一回定期的に見直す「算定基礎届」や固定的な給与が大幅に変わった場合に行う「月額変更届」の計算もあった。

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当時から考えていたのだが、このような管轄省庁が異なる制度の基準を一本化することで、事務作業を減らすことができる。我々民間の事業者が行っている事務作業もそうであるし、届出された作業結果を処理する作業も軽減される。

 

例えば健康保険料の算出基準を前年度の所得金額とすることで、前述の算定基礎届や月額変更届の計算、作成、提出の作業がなくなる。扶養についても同様で給与支払いを受ける際の申告書への記入、提出だけにすると、その他の膨大な証明書類が不要になる。

 

制度によって趣旨や目的が異なるのはわかる。しかし、一千兆円を超える財政赤字を抱えている国の行政が、このような効率向上のための工夫をせずに赤字が増えることを漫然と見過ごしていいものであろうか。

 

健保や所得税法の基準を見直すことで、日本全体で一体どれだけの人件費が削減され、企業の生産性や競争力があがり、公務員が削減され財政の健全化に寄与するか考えるべきだと思う。

 

前述のようなちょっとした基準の違いを見直すだけで、届け出や業務が一本化され、効率が上がる行政事務はもっとたくさんあるのではないだろうか。現場目線で「カイゼン」をし、財政支出の健全化をすすめて欲しいものである。