読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

IVYおじさん日記

40代後半でメーカーを退職したIVY大好きオジサンの、転職活動なんかを中心にした日々の気づいたことを書いていきます。

企業理念

近年、日系企業も企業理念を前面に押し出して経営をしている会社がたいへん多く見られる。今日は人事の役割の中でも最も重要で上位に位置する、経営理念について考えてみたいと思う。

 

会社は定款によってそのビジネスの範囲が定められているが、株式会社であれば、法律に触れない限り、定款に定めた範囲のビジネスで利益をあげて株主に配当をしている限り、その手段は なんでもアリである。

 

例えば顧客満足の最大化のために、売り上げに結びつかなくとも、顧客の課題解決の手伝いをセッセとし、結果として顧客に選ばれる存在となっていくのか、または、手段を問わない売り上げ至上主義として、合法的な範囲で年寄りなどに不必要なものを売りつけるのか、道義的責任はさておき、どちらも法治国家である以上、アリである。

 

そんな会社がビジネスをやっていく上での最も大切にしたいことや、存在意義、目的などをを明文化したものが、経営理念なのである。いいかえるならば、同じ方向に向かって走る従業員が最低限共有しなければならない価値観ともいえる。

 

ヒトの価値観は一人ひとり違っているのは当然である。しかし、同じ目標に向かって仕事をしていく集団である以上、仕事中だけは最低限一緒にすべき価値観を定めて、会社として向かっていく方向が人によって違わないようにしているのだ。

 

これは従業員の行動を考える上で、さまざまな要素のうちの最も重要なものといえる。いくら能力があったとしても、その能力を燃費性能の向上に使うのか、燃費データの改ざんにつかうのかでは、結果はまったく違ったものになると考えるとわかりやすいと思う。

 

この価値観の統一作業は、ヒトの能力発揮の上で非常に重要なものであるから、まさに人事の仕事といえる。ボクは人事の責任者になってから、階層別教育の全プログラムに経営理念のワークショップを追加し、ボク自ら担当していった。そのくらい重きをおいていたのである。

f:id:VAN415:20160707163504j:plain

昔、経営理念などはほとんどなかったし、それでも高度経済成長期からバブル崩壊まで、日系企業の経営は海外からお手本とされてきた。それが最近は経営理念がないと会社ではないようないわれ方である。ここについて考えてみたい。

 

昭和のわが国企業における人員構成の特殊性は、世界的に見てもめずらしいものであった。単一民族、言語、高卒以上の学歴そしてほとんどが男性という精度の高い同質性を持っていた。これは価値観をそろえていくにはきわめて都合のいい集団というか、最初から価値観の重なる部分がもっとも多い集団であったといえる。

 

そして集団内の価値観共有作業が、飲みュニケーションという形で毎晩、酒場で自然発生的に繰り返し行われきたのである。その日の仕事における行動や判断を振り返り、会社や職場の暗黙的な習慣やルール、価値観などに照らし合わせて、議論したり考えてたりしていたのである。これこそもっとも有効な価値観の浸透作業である。

 

ところが、85年のプラザ合意以降、急激に円高が進み、製造業が海外へ本格的に進出するようになり、86年に均等法が施行され女性の社会進出が徐々に進み、「女性は職場の花」などという言葉など発言もはばかられるようになっていく。外国籍社員が職場にいるのもめずらしくなくなり、技術革新のテンポが速くなるにつれ、世代間の興味にギャップが広がり価値観のズレも大きくなっていった。

 

このように世界でもきわめて特殊な価値観のそろいやすい集団は過去のものとなった。さらに価値観の統一作業にはきわめて有効でな文化であった、飲みュニケーションも死語となり、企業としては価値観の統一作業にわざわざ取り組む必要が出てきたのである。

 

今後も日本企業の人員構成は、ますます多様性が進むことは間違いなく、その中で企業が大切にしたい価値観の統一作業というのは、組織が組織としての力を最大化させるためには重要であり、これまで以上に注目されていくであろう。