IVYおじさん日記

40代後半でメーカーを退職したIVY大好きオジサンの、転職活動なんかを中心にした日々の気づいたことを書いていきます。

マストアイテム

IVYおんじさん日記といっている割に、洋服について一度も書いていない。今日は、男性における服装について、少し考えてみることにしたい。

 

終戦後、若い男性が着る服といえば、学生服や軍服のおさがり、背広など普段着としてオシャレなどを楽しむ洋服がなかったといわれている。そこに疑問を感じた若者が目を付けたのが、戦勝国アメリカの、それもIVYリーグといわれる東部の名門大学群の学生が身につけていた洋服であった。

 

彼らIVYリーガーたちのファッションは、いわゆるバンカラ。寝る暇も惜しんで勉強する米国の大学生である。洋服などに意識を向けている時間などない。現地では、勉強はできる将来のエリートたちではあるが、イケていない集団の服装と見られていたようである。

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ところが終戦直後の日本から見ると、物質的に豊かな戦勝国という姿と重なり、とても新鮮でカッコよく映ったようである。それは、単に洋服や小物といったハードにとどまらず、ライフスタイルなどのソフトも一緒に輸入したことからも、うかがうことができる。

 

IVYリーガーたちが身につけている洋服をベースに、それを日本人に合うようにカスタマイズし売り始めたのだが、ここでひとつ問題が。もともと男性が着るものなどを楽しむという文化がなかった日本人にとって、だれも何をどのように組み合わせて着ていいのか、まったくわからないということであった。

 

そこで当時の和製IVYでは、「このシャツには、このパンツ。そして靴はコレ。ソックスの色はなになに、でなければならぬ」式の着こなしパターンも同時に売られていった。

 

イマどきIVYファッションでさえ、この「ねばならぬ式」は過去の遺物になっているが、このコーディネイトの基本パターンを世の中に広め、世の男性たちに浸透させていったことは、男性の服装術に極めて大きな財産を残したのだと思う。

 

もっと分かりやすくいうならば、なにひとつファッションアイテムを持たない人が、膨大な洋服たちをそろえていくとしよう。まずは、頻度の多いシチュエーションで着る服からそろえることになる。ボタンダウンシャツとコットンパンツをチョイスし、そこに茶色のローファーを合わせるのが定番である。この基本3点セットを軸に、ねばならぬ式でさまざまなものを買い足し、合わせていくことによって、コーデにムダがなく服装の幅を広げることができるのである。

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例えば、上の3点セットにブレザーを羽織れば、少々カチッとした場面に出ていけるし、トレーナーをかぶって、ローファーをスニーカーにするだけで、グッとカジュアルになるといった感じだ。

 

このようなコーデの軸となるアイテムはいくつかあって、マストアイテムと呼ばれている。must buy itemを中心にねばならぬ式で組み合わせを考え、そろえていくことでムダなくコーデの幅が広がっていくのである。

 

ねばならぬ式はイマどきはやらないといったものの、この基本をしっかりと理解した上で、自分なりのコーデをひねって楽しんでいくのと、何も知らずに感性だけで組み合わせるのでは、出来映えも自然と違ったものになってくることは、みなさんもご理解いただけると思う。

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IVYファッションを世に広めたのはVANであるが、当時の社員たちが、その後独立して我が国ファッション業界のけん引役となった話は有名な話である。すべては基本形をしっかりと理解した人たちなのである。

 

われわれ第二次IVYブームを経験した世代や、その上の第一次IVYブームでしっかりねばならぬ式を勉強した世代のオジサンたちは、ボクから見ると基本を理解しているようで、服装を見ていても安心感がある。一方で、それら基本形を身につける機会がなかった若い世代は、なんとなく暗中模索しているような感じを受けるのは、ボクだけだろうか。